年が明けてしまった。
あけましておめでとうございます。
本年も好き勝手に大騒ぎしておりますが、よろしくお願い致します。
さてはて。
今更すぎるほどに今更ですが、デジタリアンも終わった今、やっとハワイについて振り返ってみました。
これは詳細なレポではなく、ただ一ヲタクが目にしてきたものを感情のままに書いたチラ裏です。
お目汚し必須かと思いますが、しばしお付き合いください。
ハワイライブが決まった日のことを、私はまだ覚えている。
私がその話を聞いたのは深夜のことだったので、またまたそんな、なんて思ってそのまま寝てしまった。
でもそれはけして夢などではなく、寝起きの私に降りかかってきた。
どうやら本当に嵐がハワイでライブをやるらしい。
15周年という節目の年に、彼らは産声を上げた土地に帰る。
それはすぐに飲み込むにはスケールが大きすぎる話だった。
どこかふわふわしていた私にFCから案内が届き、段々と現実味を帯びてくる。
二の足を踏んでいた私だったが相棒に背中を押され、ありがたいことにハワイ行きのチケットを手にすることができた。
嵐の生まれた土地、ハワイ。
海外に行ったことがない私には想像がつかない。
取得したてのパスポートを持って、私はおっかなびっくり常夏に足を踏み入れた。
どうやら私は実際に行くまで、「ハワイ州に招聘される」ということがどんなことかよくわかっていなかったらしい。
嵐、嵐、嵐。
どこを見ても「ARASHI BLAST」の文字。
す、すげえ。
とにかくすげえとしか言えない。
入国審査でも「ARASHI?」と聞かれる。(FCのパックツアーなので、人数的に当たり前といえば当たり前……なのか?)
こんなものまで用意されていた。
細部にまで、嵐の心遣いが見え隠れするようで、それもまたきゅんと心を揺さぶった。
ARASHI THEATERでは嵐による嵐クイズの模様が流されていた。(負けた大野さんが後日のライブでバク転を披露することに!)
わちゃわちゃする嵐とにかくかわいい……。嵐が嵐を愛しすぎている……。
翔さんが愛するアイランドスリッパに足を運んでみたり、
なんやかんやとしたりしているうちに、あっという間にライブの日を迎えた。
当日。
チケットを引き換えると、徐々に実感がわいてくる。
どんなものが待ち受けているのだろう。
い、椅子と水もろた……!
日本とは勝手の違う感じにドキドキしながら、バスに揺られてコオリナに向かった。
真っ白の日差しの下に降りると、そこにも嵐からの愛に満ちていた。
パネル。一緒に写真撮れる。(いっぱいあったから、智くんの肩にちっちゃいじいまごがいてじわる。)
嵐がデビュー時に乗って現れたクルーザー。
と、とってあるものなんだな……!
日本の、まだ何者でもない少年たちを乗せていたクルーザー。
これに不安をたくさん積んで、嵐は生まれたんだなあ。
他にもデビューが決まった時の新聞や、歴代のツアーTシャツが展示してあったりと、ちょっとした嵐野外博物館である。
それらを見ているうちに時間が過ぎて行く。
始まる。
嵐が、生まれた土地に還ってきた。
今度は明確に、魅せる者である自覚と意思を持って。
会場に入ると5色のレイを首にかけられた。
これも、話し合って決めたのだろうか。
私たちを楽しませようとするその姿が透けて見えて、どうにもたまらない。
正直、私はライブ中のことをほとんど覚えていない。
ぶっ飛んでしまった。
だって、信じられるだろうか。
私の1番を掻っ攫った5人は空から現れたのだ。
真っ黒のヘリコプターから燃えるような赤い衣装の5人が降りてくる。
悔しさと涙と確かな経験から生まれた威厳をたなびかせ、高らかにデビュー曲を歌い上げた。
その顔は楽しくてたまらないといったような笑顔に満ちていて、もう、それだけで胸がいっぱいになってしまった。
嵐が15周年という節目を迎えるこの年に、嵐のファンでいることができてよかった。
「今居合わせることが重要」なのだと、教えてくれた。
私はその時、この光景を一生忘れないだろうと思った。
嵐のファンじゃなくなる日が来たとしても、この光景だけはきっと忘れない。
夕焼けを背後にがしがしと踊る姿が、脳内に焼き付いて離れなかった。
ここから下は備忘録として、覚えていることをいくつか挙げておきたい。
・じしゃくちゃん
PIKA☆NCHI前に、映画の映像がモニターに流れる中、翔さんが何やら楽しそうににのちゃんに耳打ちしたかと思うと、二人で大爆笑を始めた。かと思えば、Bittersweetの途中、メインステージで両サイドに分かれて歩いていくかと思った磁
石ちゃん。翔さんが引き返してにのちゃんのもとへ。そしてまた耳打ち。
なんなんだ君たちは。もっとやってください。
・MC
翔潤が二人になった時のこと。
翔さんが今回のハワイライブでもたくさん写真を撮っていると潤くんが言う。
ファンが(その写真を)見たーい!と言ったとき、翔さんはにんまり笑って舌打ちした。
その顔はまるで誰かを甘やかすような顔だった。
弟や妹を「仕方ねえなあ」という風に甘やかす兄のような、近しいものに見せられる笑み。
一方通行ではないんだなあ。そういう笑みだった気がする。
最後の挨拶の時、大野さんが泣いた。
ふわふわと、1mmほど現実から離れて生きているような彼が泣いた。
それは私にとって衝撃的なことだった。
「モヤモヤはもうありません。」
涙を浮かべ、しかし凛とした顔で言い放った。
そのあとseasonの「旅立ちを決めた思いは 今誰のためでもなくて」というソロが、ハワイの空に響き渡った時、間違いなく彼は嵐のリーダーになったのだと思った。
びびった。
最後、ヘリに帰っていく途中で、彼はカメラに向かって、(会場ではモニターに映る)キスをお見舞いした。
年齢もあってか、ここ数年そういった挙動が減ってきた中での爆弾。
そのあとのやっぱり恥ずかしそうな笑顔。
好きだわ、好きにもなるわ。
ドキュメンタリーを見て、やっと私はにのの体調不良に気がついた。
それほどまでに、彼はプロだった。完璧だった。その痛みはきっと計り知れないほどのものであっただろうに。
お金返せ、なんて思うはずがない。
それでも、その苦しいほどのプロ意識に惚れ込んだのかもしれない。
潤くんの挨拶は前回書いたし、
相葉雅紀の愛らしさ(ex,社長の役を翔さんにふっかけといて自分で完結してしまう)の話も、散々既出だと思うので割愛。
かくして、ライブは終了した。
愛だけが詰まったラブレターを片手に、私は日本へ帰ってきた。
最後の最後まで嵐の気遣いとエンターテイナーの精神に満ちていた。
ハワイという土地は元々近かった嵐の距離を縮め、きっちりと締まっていたネジを少しだけ緩めてくれた気がする。
帰国後、Mステ、夜会、
VS嵐のハワイSP、しやがれのハワイSP、ドキュメンタリーと全て見てそんなことを思った。
やっぱり嵐の笑顔がなによりも嬉しい。
この笑顔に出会えたのは、彼らが何かを諦め、同時に目指してきた結果なのだろうと思うと、いてもたってもいられないぐらい愛おしくなる。
彼らがステージに立ち続けることを選んでくれて、本当によかった。
15周年というタイミングで嵐がハワイに立ち返ることができるというのは大きな大きな意味があったように思った。
「嵐がやりたいこと」と「ファンを大事にすること」はちゃんと
共存する。
嵐のファンは幸せだ。
蛇足だが、他のグループのファンが幸せでないということではけしてない。
熱を注ぐ対象として嵐を選ぶということがどういうことかを、まざまざと思い知ったのだ。
LOVE、BLASTと経てまた一段と拗らせてしまった。
BLASTは、ただただ愛を加速させるとんでもない装置だったのだ。
この五人の先のその先を見たい。見せてほしい。
私は、ここから先もしばらく嵐の虜のままなのだろう。
瞬きすらも許さない、魅惑の輝き。
きっとそれが、嵐という人たち。
私のハワイ行きを自分のことのように喜んでくれた人、背中を押してくれた人。
楽しいことを共有できる大好きな人たちと、これからも嵐を追いかけていきたい。
今年は何が待っているのだろうか。
(16周年の始まりを「THE DIGITALIAN」という形で見せてもらったので、それについてもまたいつか書き残しておきたい。)