船旅

へっぽこ櫻井くんヲタの野望

To you and your homies

新アルバムがドロップされた。

名を”Are You Happy?”という。櫻井翔から授けられしアルバムタイトル。

”きみは幸せ?”という問いを持ってこの世に放たれた嵐の15枚目のアルバムである。

 

”To my homies"はそんなアルバムの15曲目に位置している。

Miles awayの次、Don't You Get Itの前。

そして、”under the supervision of Sho.S"

聴くたびにいろんな思いがあふれてきた。だから、とりとめもなく考えていたことを走り書きしておこうと思う。先に断わっておくけれど、これは私の妄想である。翔くんによる解説を聴く前に考えたことを残しておこうかなって思っただけで、絶対正解だなんて到底思わない。わからないところも多い。それでも、今年もめでたい日がやってきて、愛しさを膨らませているから、ガス抜きをしたい。こんな妄想している人もいるんだな、ぐらいで読んでくれると嬉しい。

 

私はこの曲を聴くたびに思い浮かべる情景がある。

 

平日の昼下がり、がむしゃらに走り続けてきた毎日の中で、ふと足を止めて物思いにふける背中。おもむろに携帯電話を取り出して懐かしい声に耳を傾けている、そんな姿だ。

 

智くんの透き通った声で曲が進んでいく。

一歩外出たならこのsunshine

眩い陽が僕を案内

行き交う人や 華やぐ広場

どんな今日か未だまだ分かんない

これは今嵐がいる場所からの感想なのかな。

嵐を取り巻く環境がどんどん変化を遂げて行って、でも根幹は何も変わっていなくて。もちろん進化をつづけているけれど、内弁慶なところは17年変わっていない。本人たちはそれが嫌なのかもしれないけれど私にとってはとても愛しい。「あれ?笑ってるの俺たちだけ?」そんな風にいつも楽しく過ごしていてほしい。本人たちを置き去りにして、環境はめまぐるしく変わっていくけれど、そんなのはどこ吹く風なんて勢いで、嵐には5人で肩を組んでクリエイティブなことをやっていてほしい。

 

そしてにのが甘く引き継ぐ。

早く逢ってまたいつも通り

ここからは遠い もう行くよ

逢ってしまえば昔のように騒げるけれど、ここ=現在からは遠く離れた場所にある。でも今日だけはあの頃みたいに一緒に過ごそうよ、と仲間に語りかけているイメージ。嵐がまだ嵐じゃなかったころに一緒に過ごした仲間のことも想起させる。今は違うところで生きているけれど、確かに同じ時間を過ごしていた仲間。

何を話そう そうだな…

ノーカラットなものの豪華さ

カラットは宝石の質量を現す実用単位。宝石のような明確な価値はないけれど、嵐にとってはかけがえのない宝物だろう。”homie”にしかわからない感覚に対する羨望の念と切なさに、心が甘く締め付けられる。

 

相葉くんの優しい声にバトンタッチ。

狭い部屋 いつかはデカい世界 羽ばたく日を描いては

語りあかし続けてた one day

未完成の日々がいま大切

狭い部屋っていうのは第一リハーサル室かな。(合っているか自信がない)Jr.のときに夢を語りながら踊っていた部屋。そして、HERE WE GO!ツアー中に嵐ってなんだ?と話し合い続けた夜。嵐になる前も、なった後ですら毎日は未完成で、暗中模索だったかもしれないけど、大切だと。”TOPになりたい”と言って涙を流していた相葉くんの声が本当にぴったりで、翔くんが1番最初に決まったと言っていたのもわかるような気がする。

 

それから潤くんの落ち着いたトーンに流れていく。

時間てのは経てば経つほどに

日毎に見事に輝き増す彩り

ここはめちゃくちゃ翔くんのリリックだなあ~~~としみじみ。前へ前へと突き進んでいく嵐が、けして過去を蔑ろにしないところ、輝きを増していくカラフルな過去を抱いて未来へ駆けて行くところが、私は大好きです。翔くんが昔のリリックを引っぱってくるところとかたまんない。同じリリックが、違う曲で違った輝きを放っているのが面白いし、沁みる。響く。そんなTHEショウサクライのリリックを担うのが松本潤って、完璧すぎる布陣。

 

そうして満を持して我らがラップ隊長・櫻井翔

くだらない日々輝く頃の

眩しき子ども心よ

友よ

思い出の日々へ戻ろう 踊ろう

くだらない日々と言いながらも輝く日々だったと、自分のことながら当時の自分に対して少し羨ましい気持ちがあるのかなと思う。だからこそ、その子ども心が眩しいのかと。踊ることが翔くんにとって思い出の日々に戻るスイッチ、キーになっている。思い出の日々と踊ることは強く結びついていて、翔くんにとって大切なスイッチなんだと感じる。V6のコンサートの後に行ったカラオケ、すっごく楽しかったんだろうな~。もちろん、楽しかったっていう感想だけで片付くものではなく、感じるものは私の想像を超えてたっくさんあっただろうけれども。”To my homies"の誕生の裏には、その夜が大きく影響しているように思う。

 

コーラスの中で、受け入れるものとして、「痛み」「楽しみ」「悲しみ」「奇跡」が並列となっているのを聴いたとき、翔くんがVS嵐ハワイSPで言っていたことを思い出した。

「なんでグッときてなんで涙してるのかもよく分かってないんだよ。

これは感謝なのか感動なのか、悔しさなのかなんなのかもはやもうわかんないんだけど、ただただ涙が出てくるみたいな。」

 感謝、感動、悔しさ。これが並列されているのを見たときに、ステージの上に立つことを選び続けてくれていることに底知れぬ幸せを感じた。それはあたりまえのことではなくて、多くのものを掴みとってきたと同時に想像を絶する量のなにかを捨ててきているんだと、それでもアイドル居続けてくれたことに対して感謝しかない。感謝と愛おしさが混ざって、涙でしか外に出て行かないことがとんでもなく悔しい。

きっとこうやって言えるようになったのは年齢なんだろうな、と思う。弱い部分、と言ってしまうと乱暴かもしれないが、輝かしくて幸せなポジティブな感情以外も歌えるようになったのはネガティブな部分を許せるようになったからなのかなと思う。向上心を捨てたのではなくて、ネガティブな部分があってもいいと、自分を許せるようになったのかなと思った。

Hip Pop Boogie ChapterⅡの中の、

 辛い夜も暗い夜もタイトルを奪い取る

っていう歌詞にも同じようなこと思う。無印にはなかったテイストだなあと。それだけの時間を歩いてきた翔くん、ひいては嵐のことを推し量ると胸がつぶれそうになる。

 

誰にも止めれない この胸さわぎを

もっと 突き抜けて 空へ もっと もっと

あきらめきれない この胸さわぎを

もう止めることはない

胸騒ぎ=嵐というものに対する漠然とした不安、その胸騒ぎは周囲はもちろん自分すらも止めることはできなかったし、完全に捨て去ることはできないけれど、今は嵐でいることに対してもう迷いはないから止めることはないってことなのかな。胸騒ぎの中には自分の人生の迷いはもちろん、仲間のこともあったんだろうな、と考えるとより一層焦燥感があったのではないかと思うけど、それも突き抜けてしまえば別の感情に昇華するんじゃないか。完全に捨て去ることができなくても、自分たちにはノーカラットだけどかけがえのない日々が確かにあるから大丈夫だと思えるようになったんじゃないかなあ。だってちゃんと思い出の日々に戻れるスイッチを持っているから。

 

いつかのあの歌も 今になって受け入れて

全身全霊で行こうよ ずっと信じてる

きっと今までの楽曲でこんな歌嫌だよ!って思ったこともあっただろうな、って思うけど、今の年齢まできてやっと受け入れることができて、まだまだこれからも仲間を信じて全身全霊で行ってくれるって、こんなに安心することはない。嵐という仲間はもちろん、そうじゃない仲間の事も信じて心を寄せている。そういう存在があってこその嵐という船なんだろうな、と思う。余談だけど、全身全霊って、a dayを思い出してまた胸が熱くなる。

 

嵐は、5人と5人を超えたつながりで支えられている。苦く切なく、けして楽しいだけの気持ちで満ちてはいないけれど、優しくあたたかな絆を持っている。だからこそきっとこれからも前に進んでいけるんだろう。

 

To my homiesという曲を受け取った今、あなたと、あなたの大切な仲間に告ぐ。

2016年現在も、その場所にいてくれてありがとう。

その姿を追いかけることができて、すこぶる楽しくて嬉しいです。

自然と笑顔が溢れるようなこの気持ちを、きっと幸せと呼ぶんだろう。つまり、問いの答えは”Yes.”でしかないということ。

 

嵐、17歳のお誕生日おめでとう。そしてこれからも、Bon voyage!

2年ぶり

私は寝起きが悪い。

本来起きなければいけない時間の20分前くらいから5分おきにスヌーズ機能をかけて、ゆっくりだらだらのっそり起きる。

しかも半覚醒の状態でTwitterを見る。

このため、寝ぼけた私から早朝に空リプをくらったという方もいるだろう。

(その節は大変申し訳ありませんでした)

 

そんな私ではあるが、今日は違った。

2割ぐらいしか開いてなかった目が一瞬で見開かれた。

 

演技のお仕事は2年ぶりだという。

何故か円盤化してもらえなかった「大使閣下の料理人」(2014/1/3)以来である。

(しつこいと思われるかもしれないけれど、円盤化しないならしないで、理由が知りたい……。)

 

正直な話、もしかしたら演技の仕事に対して消極的になっているのかな……と思っていた。

というのも、翔くんの興味の矢印が報道の仕事に向いているような気がしていたからだ。

それがどうというわけではないが、演技する翔くんが恋しくなっていたのは事実。

だって連ドラは2013年の春クールが最後。

異世界同位体櫻井翔に会いたくてたまらなかった。

櫻井翔の顔でありながら、違う名前、違う人生を生きていく翔くん。でも間違いなく櫻井翔の血が通っている人間。

そういう人に、久しぶりに会いたくなっていた。

もちろん報道に携わる翔くんのことも眩しくって大好きだ。

あんなにイキイキと”伝える”仕事ができる人はなかなかいない気がする。

 

そんな中でやってきた「君に捧げるエンブレム」

嬉しいに決まっている!!!やったぜ!!!おめでとうさく担たち!!!!!

 

翔くんのお仕事はつながっている、と今回強く思った。

翔くんが障がい者スポーツについて取材し、世の中に伝えていた一方で、

櫻井翔という人となりを買って5年間準備してきたドラマに出てほしいという人がいる。

奇しくも、その根底にある「障がい者スポーツを伝えたい」という熱意は同じだ。

今回のドラマのプロデューサーは翔くんのことをこんな風に評価する。

櫻井さんは国民的スターでありながら親しみやすく、そして茶目っ気と真面目さが同居する稀有な役者だと思います

なんて嬉しい響き。そう、それが櫻井翔なのだ。

 

そして、報道の仕事の中で翔くんが受講したユニバーサルマナー検定の公式アカウントさんもこんな呟きをしている。

 

そう、やっぱりすべてはつながっているのだ。

違う道で学んだことが、また違う道で生きる。

そういう世界で、翔くんは生きている。私は、そんな彼が好きなんだ。

 

 

まあ、なんだかんだとそれっぽく並べ立てたが、翔くんドラマおめでとう!!最高!!!すこぶる楽しみ!!!!!に尽きるんですけどね。サッカーする姿も見れるんだって。なにこのエデン。

f:id:rdsq5:20160908211327j:plain

この勢いで百年法の実写化もお待ちしております!!!!!(強欲)

あなたは私の青春そのもの

 

2015年なんて来なければいいのに。

 

なんとも我儘な願いである。

私にとっての2015年はまさに地獄に等しく、一寸先は闇だと思っていた。

どのぐらい嫌だったのかというと、2014年末に紅白歌合戦で「THE DIGITALIAN」ツアーの会場限定グッズを胸元につけてGUTS!を歌った嵐を見て涙を流すぐらいだ。

 

時よ止まれと強く願った。

そんな私の願いをよそにあっけなく年は明け、翔さんは33歳になり、私のモラトリアムは終焉に向かってカウントダウンを始めた。

 

結果として、私の2015年は無事に終わった。

私の予想通り確かに地獄だったし、走り抜けてきた道を振り返ってみると後悔もある。

それでも私は生き延び、また一つ年を重ねる櫻井翔さんに愛を叫ぼうとしている。

 

 

学生生活を終えて仕事一本になるとき、翔さんは自らの感覚を「補助輪が外される感じ」と表現していた。

今、人生の岐路に立ち、その言葉を噛みしめている。

 

翔さんはどれだけ不安だったことだろう。

周りの友人たちとは違う道を歩いていくと決めたその覚悟は如何ほどか。

私のような若輩者には計り知れない。

それでも「俺はブラウン管の中もうしばらく」と口ずさみ、就職活動をする友人たちには「嵐に就職が決まってる」と笑って見せていたのだろう。

 

ブラウン管は薄型テレビになり、もうしばらくと言い続けて嵐は2015年11月3日に16歳となった。

一昨日は嵐にしやがれで鍋を頬張る翔さんを見て、今日は23:00にNEWSZEROで翔さんを見ることができる。

ありがとう、翔さん。補助輪なしでも、運転を続けてくれてありがとう。

 

道は舗装されていないし、運転すれば外野は好き勝手に喚くし、そのハンドルから手を離してしまいたいと思ったこともあるだろう。

翔さんは嵐から愛され、嵐を愛している。これは紛れもない真実だ。

その結果として翔さんは運転を続けているのではないかと思う。

だから、ありがとう、嵐。翔さんと一緒にハンドルを握り続けてくれてありがとう。

 

私は櫻井翔という人間に何回惚れ直せばいいのだろうか。

33歳の櫻井翔を前にして思ったことである。

愛を注げるだけ注いでいるつもりなのに、いつだって、何回でも私は翔さんに惚れ直す。 

 

”君たちとなら歩いてく”

”こんな大の大人が 大きな夢描いたり 願いたい未来また描いたり”

”こうなりゃもうそう後ろ振り向かず 本業の方置いて次向かう”

 

決意、誓い、新たなる所信表明演説

どれもきっと当てはまるが、Hip Pop Boogie ChapterⅡもまたラブレターなのだろう。

これが一番しっくりくる気がした。

こんな熱烈なラブレターを貰って、「描いた未来」を見たくないなんて言えるはずがない。

 

ARASHI LIVE TOUR 2015"Japonism"。

翔さんはまた一つ新しい宝物を見せてくれた。

櫻井翔ドラムラインはびっくりするほどに新鮮で、痺れるぐらいにかっこよかった。

それは紛れもなくきらきらと輝く努力の結晶だった。

 

翔さんが好きだ。大好きだ。

翔さんを構成するすべてを尊敬している。

常に前進し続けるその背中が眩しい。

 

そんな翔さんを応援するにあたって、私は胸を張れるだろうか。

選んだ道は正解だったのだろうか。

散々考えてはみたものの、結局のところそんなのはやってみなければわからない。

「真実はいつだって一つだけじゃ終わらない」のだから。

 

しどろもどろになりながら模索する私を照らしたのはやっぱり翔さんだった。

2015年も、そのずっと前から、翔さんはいつも私の光だ。

地獄も恐ろしくなかったのは、翔さんという灯台のおかげだった。

 

私ももう少しで補助輪が外れる。

翔さんと同じ立場になる。

”今をどう生きる?”

まずは翔さんに恥ずかしくないように、精一杯選んだ道を生きてみようと思います。

 

翔さん、お誕生日おめでとう。

同じ時代に生まれたことが、叫びだしたいぐらいに嬉しいです。

翔さんを好きになって、本当によかった。

 

 

 

 

Hip Pop Boogie chapterⅡ

 

夜の帳も下りてきて、ライブも終盤。

それまでとにかく叫んで飛んで暴れていた私は、突如身動きが取れなくなってしまった。

その原因はARASHI BLAST in Miyagiにおける櫻井翔のソロである。

 

君たちとなら歩いてく

栄光へとただマイペース

磨いてる 未だ磨いてる

咲いてる花たち抱いてる

 

 フードをかぶり、マイクを握りしめ、真っ暗なステージ眩い白いライト。

一筋の光を浴び、言葉を紡いでいく。

 

2007年以降に発表されたソロ曲を歌うと宣言されたライブ序盤から、ずっと翔さんの出番を今か今かと待っていた。

満を持してのHip Pop Boogie しかもchapterⅡ

言葉を失うとはこのことか。

ステージに焼き付けられたその姿に目も耳も言葉も心ごと奪われてしまった。

 

 

嵐は上り詰めるところまで上り詰めたのではないかと言う人がいる。

ロケに行けばファンでない人たちも名前を呼んで握手を求め、ファンは泣き崩れる。

CDもDVDも出せば1位。コンサートチケットはブレイクして7年経ってもまだ入手困難。

後輩たちも続々と出てきて、先輩として後輩の背中を押す場面も格段に増えた。

 

「Hip Pop Boogie」が提示されてから7年。

無印はどちらかというと攻撃的で、猛々しく、掴んでいるものを振り落すような荒々しさがあったように思う。

それがchapterⅡになり、翔さんは立ち止まって周りを見ているような気がした。

9歳だった嵐は16歳になり、26歳だった翔さんは33歳になった。

大人と呼ぶにふさわしい年齢になった彼は、chapterⅡと称した愛を歌った。 

 

道なき道を歩いてく

迎合せずただマイペース

いま言えるいまならば言える

蒔いてた種たち咲いてく

という部分は

君たちとなら歩いてく

栄光へとまだマイペース

磨いてる 未だ磨いてる

咲いてる花たち抱いてる

と姿を変える。

 

我が道を突き進んでいた彼が立ち止まり、たくさんの選択肢を持ちながらもアイドルという仕事を選びつつけようという宣言する。私たちと共に歩んでくれることを歌う。

咲いた花たちを咲いたからと目を離してしまうのではなく、また踏み潰すようなこともなく慈しむ。

私たちが目にしているのはゴールした櫻井翔ではない。

その瞳はさらに上を見つめている。穏やかに、それでも強く。

 

大卒のアイドルがタイトルを奪い取る

マイク持ちペン持ちタイトルを奪い取る

 まさに嵐のような勢いを持っていた部分は

大卒のアイドルがタイトルを奪い取る

辛い夜も暗い夜もタイトルを奪い取る

弱さを隠さずに、それでも変わりなく戦い続けることを誓うようになった。

 

 

年齢的なものもあってか「丸くなった」と言われることも増えた翔さん。

chapterⅡを歌う中で印象的な場面があった。

こんな景色はみんなのおかげ

ここまで連れてきてくれるなんて

ここを歌う際、花道横の客席を手で示すようにしていた。

この動作を見て昨年のTHE DIGITALIANツアー東京公演での翔さんの挨拶を思い出した。

この時に会場を指さしていた動作と同じだった。

翔さんは私たちをけして置き去りにしない。

努力しているのは本人なのに、”辛い夜も暗い夜も”階段を上り続けているのは本人なのに。

それでもファンのおかげだと歌う。

そんなのはこっちの台詞だ。

言葉を失うような美しいライトの海も、息を呑むような記録の数々も、櫻井翔が、嵐が戦い続けているおかげで見ることができている。

触れればこちらが怪我をするような鋭さを持っていた青年は、限りない優しさで私たちを包むようになった。

 

しかし、それだけでは終わらない。

それだけにとどまる人ではない。

きっとずっと 一方通行
立ち止まればすぐ一生終了
苛立つ 暇なく 舌出す 光らす
本業の方置いて次向かう

さすがとしか言いようがない。舌を巻くぐらいしか私たちには許されないのだ。

聴いている人の心臓を擽るような、ふつふつと血を沸かせるような言葉の数々。

彼の剣は優しさで切れ味が鈍るようなものではない。分かっていたのに改めて思い知らされた。

その瞳は新しいステージを見据えている。

顔をしかめている本業の方々に気を留めている暇なんてない。

 

何か夢があると思わないかい?

こんな大の大人が

大きな夢描いたり 願いたい未来また描いたり

大の大人と言えるようになった今、そんな年齢も悪くないだろうと言わんばかりだ。

翔さんは櫻井翔としての芯はけしてブレさせないまま、増えた荷物を抱き込んでまた次の荒野へと歩んでいく。

私たちはその目撃者となる。こんなに幸せなこと、他にあるのだろうか。

 

星が瞬く夜空を力強く指さしていた姿が瞼の裏に焼き付いて離れない。

翔さんを追いかけはじめてから、驚いたり胸を震わせたりするようなことばかりだ。

声を大にして言いたい。櫻井翔はかっこよすぎる、と。

わりと本気で世界中が惚れるのではないかと思っている。おたくの欲目だろうか。

 

さて。

辺りを巻き込んでいたlyrical idolが、さらに嵐を巻き起こすと言う。

その瞬間のために、私はお腹を空かして待っていることにしようと思う。

 10月21日が待ち遠しい。

 

 

メモ。

Hip Pop Boogie chapterⅡ - Privatter

※私の記憶とツイッタ―のレポを繋ぎ合わせて、相棒ちゃんに間違いさがしをしてもらった自分用メモ。

もし間違っていそうなところがあったらご一報くださると嬉しいです。

大好きが愛おしいに変わるまで

 

33年前の今日、櫻井家の第一子は生まれた。

まだ見ぬ希望と野望をその小さな手に握りしめて。

親戚中の第一子でもあった彼は、きっと大層可愛がられていただろう。

将来は社長か官僚か、なんて言われていたかもしれない。

 

しかし2015年現在。彼は光り輝くステージの上にいる。

希望と野望は握りしめたまま。

彼の職業はアイドル(自称・旅人)のままだ。

 

彼がこの世界を選ぶということは、茨の道だったに違いない。

反対や心無い言葉もたくさん浴びただろう。

彼の仲が良かったJr.のうちの一人は、社会人として道を歩き始めることにしたのだから。

それでも、私は今日コンサート会場で、テレビで、雑誌で彼を見ることができる。

 

彼にはたくさんの道が用意されていた。

しかし、そのどれも選ぶことなく「道なき道を歩いて」いる。

つまり、彼と同じ時代に生きてその活躍を目にすることができるのは奇跡だ。

それは形容しがたいぐらいの幸せなのだと思う。

 

 

初めて彼を見たとき、単純に「好きだ。」と思った。

年を経て、翔くんを知っていくうちに「大好きだ。」と思った。

Mr.PERFECRTと名高い彼だが、天然でシャイでちょっと子供っぽいところがあると思う。

だけど優しくて、熱くて、強くて、かわいいのに男前だ。

私は今、そんな翔さんが「愛おしい。」と思う。

 

見れば見るほど、聞けば聞くほど、知れば知るほど惚れ込んでいった。

もうこれ以上ないぐらいメーターは振り切れているはずなのに、病状は悪化の一途を辿るばかりだ。

 

私は以前、完成した城に対して「かっこいい。」「美しい。」と言っているだけなのではないかと思っていたことがある。

建築過程のことを何も知らないくせに、と。

それでも私はこの城が好きなのである。それはどうしようもない事実なのだから仕方ない。

私は私のタイミングで翔さんを見つけることができたことにきっと意味がある、と昨年やっと思えるようになった。

それに私は今から好きなだけ翔さんが描く夢の先を見ることができる。

こんなに幸せなことってないだろう。

 

 

つい最近、大好きなフォロワーさんとこんな話をした。

「私たちが担降りするときはどういう時なのだろう。」と。

何もこんなめでたい日にそんな話をしなくても、と思うのだが、最近よく考える。

私は何をもって櫻井翔から離れるのだろう。

 

もう顔も見たくない、と嫌いになるのだろうか。

翔さんの活躍は十分見た、と満足するのだろうか。

突然他に応援したい子ができた、と降りてしまうのだろうか。

 

今はこのどれも想像がつかない。

脳内お花畑のようなことを言っている、と思われるかもしれないが、

私はもう櫻井翔以上に好きになる人は出てこないんじゃないか、と思う。

それぐらいに私の中は櫻井翔に占められている。

 

だからどうか、翔さんに悲しいことがないといい。

苦しいことがないといい。

薄汚いことが降りかからないでほしい。

 

何よりも虹色の幸福が訪れるようであってほしい。

 

……なんて一回りも年上の男性に思うことじゃないかもしれない。

それでも私は翔さんに眉尻を八の字に下げてきらきらと笑っていてほしいのだ。

未開の荒野に道を切り開くその背中を追いかけていたい。

 

「嵐のファンでよかった、と思ってもらえるように頑張りたい。」と翔さんは言った。

そんなの、思わなかった日なんてないよ、翔さん。

 

現状に満足することない気高さと、周囲に感謝することを忘れない謙虚さを持ち合わせた翔さんは痺れるぐらいにかっこいい。

だって彼は私の世界の1番なのだから。

 

翔さん、お誕生日おめでとう。両手で抱えきれないぐらいの愛を、あなたへ。

生まれてきてくれて、アイドルであることを選び続けてくれて、ありがとう。

 

 

ARASHI BLAST in Hawaii


年が明けてしまった。

あけましておめでとうございます。

本年も好き勝手に大騒ぎしておりますが、よろしくお願い致します。


さてはて。


今更すぎるほどに今更ですが、デジタリアンも終わった今、やっとハワイについて振り返ってみました。

これは詳細なレポではなく、ただ一ヲタクが目にしてきたものを感情のままに書いたチラ裏です。

お目汚し必須かと思いますが、しばしお付き合いください。



 

ハワイライブが決まった日のことを、私はまだ覚えている。

 

私がその話を聞いたのは深夜のことだったので、またまたそんな、なんて思ってそのまま寝てしまった。

でもそれはけして夢などではなく、寝起きの私に降りかかってきた。

 

どうやら本当に嵐がハワイでライブをやるらしい。

 

15周年という節目の年に、彼らは産声を上げた土地に帰る。

それはすぐに飲み込むにはスケールが大きすぎる話だった。

 

どこかふわふわしていた私にFCから案内が届き、段々と現実味を帯びてくる。


二の足を踏んでいた私だったが相棒に背中を押され、ありがたいことにハワイ行きのチケットを手にすることができた。

 

嵐の生まれた土地、ハワイ。

海外に行ったことがない私には想像がつかない。

取得したてのパスポートを持って、私はおっかなびっくり常夏に足を踏み入れた。


どうやら私は実際に行くまで、「ハワイ州に招聘される」ということがどんなことかよくわかっていなかったらしい。

 

嵐、嵐、嵐。

どこを見ても「ARASHI BLAST」の文字。

f:id:rdsq5:20141231190146j:plain   f:id:rdsq5:20141231190238j:plain


す、すげえ。

とにかくすげえとしか言えない。

入国審査でも「ARASHI?」と聞かれる。(FCのパックツアーなので、人数的に当たり前といえば当たり前……なのか?)


f:id:rdsq5:20141231191027j:plain f:id:rdsq5:20141231190849j:plain

こんなものまで用意されていた。

細部にまで、嵐の心遣いが見え隠れするようで、それもまたきゅんと心を揺さぶった。

ARASHI THEATERでは嵐による嵐クイズの模様が流されていた。(負けた大野さんが後日のライブでバク転を披露することに!)

わちゃわちゃする嵐とにかくかわいい……。嵐が嵐を愛しすぎている……。



翔さんが愛するアイランドスリッパに足を運んでみたり、

f:id:rdsq5:20150106135532j:plain

なんやかんやとしたりしているうちに、あっという間にライブの日を迎えた。



当日。
チケットを引き換えると、徐々に実感がわいてくる。
どんなものが待ち受けているのだろう。

f:id:rdsq5:20150106141139j:plain

い、椅子と水もろた……!

日本とは勝手の違う感じにドキドキしながら、バスに揺られてコオリナに向かった。


真っ白の日差しの下に降りると、そこにも嵐からの愛に満ちていた。

f:id:rdsq5:20150106141849j:plain

パネル。一緒に写真撮れる。(いっぱいあったから、智くんの肩にちっちゃいじいまごがいてじわる。)


f:id:rdsq5:20150106142039j:plain

嵐がデビュー時に乗って現れたクルーザー。
と、とってあるものなんだな……!
日本の、まだ何者でもない少年たちを乗せていたクルーザー。
これに不安をたくさん積んで、嵐は生まれたんだなあ。

他にもデビューが決まった時の新聞や、歴代のツアーTシャツが展示してあったりと、ちょっとした嵐野外博物館である。


それらを見ているうちに時間が過ぎて行く。

f:id:rdsq5:20150106142446j:plain

始まる。
嵐が、生まれた土地に還ってきた。
今度は明確に、魅せる者である自覚と意思を持って。


f:id:rdsq5:20150106142730j:plain

会場に入ると5色のレイを首にかけられた。
これも、話し合って決めたのだろうか。
私たちを楽しませようとするその姿が透けて見えて、どうにもたまらない。




正直、私はライブ中のことをほとんど覚えていない。
ぶっ飛んでしまった。
だって、信じられるだろうか。

私の1番を掻っ攫った5人は空から現れたのだ。

真っ黒のヘリコプターから燃えるような赤い衣装の5人が降りてくる。

悔しさと涙と確かな経験から生まれた威厳をたなびかせ、高らかにデビュー曲を歌い上げた。

その顔は楽しくてたまらないといったような笑顔に満ちていて、もう、それだけで胸がいっぱいになってしまった。

嵐が15周年という節目を迎えるこの年に、嵐のファンでいることができてよかった。
「今居合わせることが重要」なのだと、教えてくれた。


私が一番印象的だったのは、夕暮れの中で嵐がPIKA★★NCHI DOUBLEを歌っていた時。
私はその時、この光景を一生忘れないだろうと思った。
嵐のファンじゃなくなる日が来たとしても、この光景だけはきっと忘れない。
夕焼けを背後にがしがしと踊る姿が、脳内に焼き付いて離れなかった。



ここから下は備忘録として、覚えていることをいくつか挙げておきたい。

・じしゃくちゃん
PIKA☆NCHI前に、映画の映像がモニターに流れる中、翔さんが何やら楽しそうににのちゃんに耳打ちしたかと思うと、二人で大爆笑を始めた。かと思えば、Bittersweetの途中、メインステージで両サイドに分かれて歩いていくかと思った磁石ちゃん。翔さんが引き返してにのちゃんのもとへ。そしてまた耳打ち。
なんなんだ君たちは。もっとやってください。


・MC
翔潤が二人になった時のこと。
翔さんが今回のハワイライブでもたくさん写真を撮っていると潤くんが言う。
ファンが(その写真を)見たーい!と言ったとき、翔さんはにんまり笑って舌打ちした。
その顔はまるで誰かを甘やかすような顔だった。
弟や妹を「仕方ねえなあ」という風に甘やかす兄のような、近しいものに見せられる笑み。
一方通行ではないんだなあ。そういう笑みだった気がする。


大野智の涙
最後の挨拶の時、大野さんが泣いた。
ふわふわと、1mmほど現実から離れて生きているような彼が泣いた。
それは私にとって衝撃的なことだった。
「モヤモヤはもうありません。」
涙を浮かべ、しかし凛とした顔で言い放った。
そのあとseasonの「旅立ちを決めた思いは 今誰のためでもなくて」というソロが、ハワイの空に響き渡った時、間違いなく彼は嵐のリーダーになったのだと思った。


櫻井翔の投げキッス
びびった。
何しろ櫻井翔は私の中でシャイボーイで有名なのである。
最後、ヘリに帰っていく途中で、彼はカメラに向かって、(会場ではモニターに映る)キスをお見舞いした。
年齢もあってか、ここ数年そういった挙動が減ってきた中での爆弾。
そのあとのやっぱり恥ずかしそうな笑顔。
好きだわ、好きにもなるわ。


二宮和也のプロ意識
ドキュメンタリーを見て、やっと私はにのの体調不良に気がついた。
それほどまでに、彼はプロだった。完璧だった。その痛みはきっと計り知れないほどのものであっただろうに。
お金返せ、なんて思うはずがない。
それでも、その苦しいほどのプロ意識に惚れ込んだのかもしれない。


潤くんの挨拶は前回書いたし、相葉雅紀の愛らしさ(ex,社長の役を翔さんにふっかけといて自分で完結してしまう)の話も、散々既出だと思うので割愛。


かくして、ライブは終了した。

f:id:rdsq5:20150109130743j:plain

愛だけが詰まったラブレターを片手に、私は日本へ帰ってきた。
最後の最後まで嵐の気遣いとエンターテイナーの精神に満ちていた。


ハワイという土地は元々近かった嵐の距離を縮め、きっちりと締まっていたネジを少しだけ緩めてくれた気がする。
帰国後、Mステ、夜会、VS嵐のハワイSP、しやがれのハワイSP、ドキュメンタリーと全て見てそんなことを思った。

やっぱり嵐の笑顔がなによりも嬉しい。

この笑顔に出会えたのは、彼らが何かを諦め、同時に目指してきた結果なのだろうと思うと、いてもたってもいられないぐらい愛おしくなる。
彼らがステージに立ち続けることを選んでくれて、本当によかった。

15周年というタイミングで嵐がハワイに立ち返ることができるというのは大きな大きな意味があったように思った。

「嵐がやりたいこと」と「ファンを大事にすること」はちゃんと共存する。

嵐のファンは幸せだ。
蛇足だが、他のグループのファンが幸せでないということではけしてない。
熱を注ぐ対象として嵐を選ぶということがどういうことかを、まざまざと思い知ったのだ。


LOVE、BLASTと経てまた一段と拗らせてしまった。
BLASTは、ただただ愛を加速させるとんでもない装置だったのだ。


この五人の先のその先を見たい。見せてほしい。
私は、ここから先もしばらく嵐の虜のままなのだろう。
瞬きすらも許さない、魅惑の輝き。
きっとそれが、嵐という人たち。

私のハワイ行きを自分のことのように喜んでくれた人、背中を押してくれた人。
楽しいことを共有できる大好きな人たちと、これからも嵐を追いかけていきたい。


今年は何が待っているのだろうか。
(16周年の始まりを「THE DIGITALIAN」という形で見せてもらったので、それについてもまたいつか書き残しておきたい。)



理想郷へのフライト



11月3日。
どうせなら、ということで今日この日からブログをスタートすることにしました。

誰かの意見を、例えそれが私の脳みその中と同じであっても、自分のものとしてまるごと飲み込んでしまうのではなく、自分の言葉で残しておきたいと思い立って今文字を打っています。

いつか「若気の至り」と言って笑ってもいい、心臓の裏が焼け焦げるような熱量をツイッターだけではなく、文章の塊として残してみたくなりました。

散々言ったけれど、「櫻井翔、嵐が好きすぎてどうにかなりそうだから語らせろ!」ということです。



さて。

15年前の今日、嵐は産声を上げた。

その歳月は長く、一言で片付くものではないと重々承知しております。

そして、その歴史を全て見てきたわけではない。
私が嵐に出会ったのはあまりにも遅すぎたような気がします。嵐を好きな期間を競うようなことはしたくないけれど、もっと早く5人に出会いたかったこともまた本音。

そんな中、2014年9月19日。
ハワイの空の下で潤くんが言った言葉が忘れられません。

「15年間、それぞれ、僕らとつながった瞬間、きっかけは別かもしれませんが。皆がそれぞれのタイミングで僕らと出会って、一つの道を皆で歩くことができて。スゲー楽しい人生だなって思っています。」

今まで私の中にあった淀んだ気持ちを一発で吹き飛ばす、その言葉。

それもそうなんですよね、だって彼らは嵐だから。
全てを巻き込んで吹き飛ばす「嵐」なのだから、かさばる上着なんて必要なかった。

だからここまで追いかけてきたんだった。

好きになってよかった。
出会えてよかった。

心の底からそう思った。



そして10月22日、奇しくも翔さんがジャニーズ事務所に入って19年目の日に、「THE DIGITALIAN」がリリースされました。
その通常盤の中に入っている「Take Off!!!!!」という翔さんが書いた曲。
それは恐縮してしまうほどの、熱烈なラブレターでした。

普段、嵐や嵐のメンバーに対して愛情をストレートに表す方ではない翔さんが、「Take Off」のあとにエクスクラメーションマークを5つ付けている。それを想像しただけで、愛おしさが大爆発した。なんてこった!

今回、15周年の年にオリジナルアルバムを出す理由として「常に前へ、振り返ってばかりでは仕方ない」と話す翔さん。
けれどちゃんと滑走路はPastとFutureで繋がっている。けして過去を蔑ろにしているわけではない。踏みしめて、そしてその先へと飛翔を続けて行く。

たまんないぜ、櫻井翔
これ以上ハートを掴まれてしまっては、どうにも身動きが取れませんって。

嵐のこれまでとこれからを高らかに歌い上げた曲なのだと思いきや、そうではない。そう、これは熱烈なラブレター。

「My fellow,ARASHIANS!」
「and you!」
「光る6の輪の向こう」

こんなに愛されていいのだろうか。
こんなに幸せでいいのだろうか。

走り出したくなるような衝動がこみ上げてきた。嵐の矢印はいつだって私たちの方に向いていて、愛に満ちている。これを幸せと呼ばないで、他になんと呼ぶのだろう。
遠くに感じることもあるかもしれない。嵐はそんな悩みも吹き飛ばすほどに、愛に溢れている。
彼らは、私たちの悩みも不安も笑顔に変えて、フライトを続けるのだろう。


嵐のファンでよかった、なんていつも思ってるよ。翔さん。

おめでとう、嵐。
ありがとう、嵐。


嵐に出会った瞬間から、私から見える風景は絶景です。