船旅

へっぽこ櫻井くんヲタの野望

To you and your homies

新アルバムがドロップされた。

名を”Are You Happy?”という。櫻井翔から授けられしアルバムタイトル。

”きみは幸せ?”という問いを持ってこの世に放たれた嵐の15枚目のアルバムである。

 

”To my homies"はそんなアルバムの15曲目に位置している。

Miles awayの次、Don't You Get Itの前。

そして、”under the supervision of Sho.S"

聴くたびにいろんな思いがあふれてきた。だから、とりとめもなく考えていたことを走り書きしておこうと思う。先に断わっておくけれど、これは私の妄想である。翔くんによる解説を聴く前に考えたことを残しておこうかなって思っただけで、絶対正解だなんて到底思わない。わからないところも多い。それでも、今年もめでたい日がやってきて、愛しさを膨らませているから、ガス抜きをしたい。こんな妄想している人もいるんだな、ぐらいで読んでくれると嬉しい。

 

私はこの曲を聴くたびに思い浮かべる情景がある。

 

平日の昼下がり、がむしゃらに走り続けてきた毎日の中で、ふと足を止めて物思いにふける背中。おもむろに携帯電話を取り出して懐かしい声に耳を傾けている、そんな姿だ。

 

智くんの透き通った声で曲が進んでいく。

一歩外出たならこのsunshine

眩い陽が僕を案内

行き交う人や 華やぐ広場

どんな今日か未だまだ分かんない

これは今嵐がいる場所からの感想なのかな。

嵐を取り巻く環境がどんどん変化を遂げて行って、でも根幹は何も変わっていなくて。もちろん進化をつづけているけれど、内弁慶なところは17年変わっていない。本人たちはそれが嫌なのかもしれないけれど私にとってはとても愛しい。「あれ?笑ってるの俺たちだけ?」そんな風にいつも楽しく過ごしていてほしい。本人たちを置き去りにして、環境はめまぐるしく変わっていくけれど、そんなのはどこ吹く風なんて勢いで、嵐には5人で肩を組んでクリエイティブなことをやっていてほしい。

 

そしてにのが甘く引き継ぐ。

早く逢ってまたいつも通り

ここからは遠い もう行くよ

逢ってしまえば昔のように騒げるけれど、ここ=現在からは遠く離れた場所にある。でも今日だけはあの頃みたいに一緒に過ごそうよ、と仲間に語りかけているイメージ。嵐がまだ嵐じゃなかったころに一緒に過ごした仲間のことも想起させる。今は違うところで生きているけれど、確かに同じ時間を過ごしていた仲間。

何を話そう そうだな…

ノーカラットなものの豪華さ

カラットは宝石の質量を現す実用単位。宝石のような明確な価値はないけれど、嵐にとってはかけがえのない宝物だろう。”homie”にしかわからない感覚に対する羨望の念と切なさに、心が甘く締め付けられる。

 

相葉くんの優しい声にバトンタッチ。

狭い部屋 いつかはデカい世界 羽ばたく日を描いては

語りあかし続けてた one day

未完成の日々がいま大切

狭い部屋っていうのは第一リハーサル室かな。(合っているか自信がない)Jr.のときに夢を語りながら踊っていた部屋。そして、HERE WE GO!ツアー中に嵐ってなんだ?と話し合い続けた夜。嵐になる前も、なった後ですら毎日は未完成で、暗中模索だったかもしれないけど、大切だと。”TOPになりたい”と言って涙を流していた相葉くんの声が本当にぴったりで、翔くんが1番最初に決まったと言っていたのもわかるような気がする。

 

それから潤くんの落ち着いたトーンに流れていく。

時間てのは経てば経つほどに

日毎に見事に輝き増す彩り

ここはめちゃくちゃ翔くんのリリックだなあ~~~としみじみ。前へ前へと突き進んでいく嵐が、けして過去を蔑ろにしないところ、輝きを増していくカラフルな過去を抱いて未来へ駆けて行くところが、私は大好きです。翔くんが昔のリリックを引っぱってくるところとかたまんない。同じリリックが、違う曲で違った輝きを放っているのが面白いし、沁みる。響く。そんなTHEショウサクライのリリックを担うのが松本潤って、完璧すぎる布陣。

 

そうして満を持して我らがラップ隊長・櫻井翔

くだらない日々輝く頃の

眩しき子ども心よ

友よ

思い出の日々へ戻ろう 踊ろう

くだらない日々と言いながらも輝く日々だったと、自分のことながら当時の自分に対して少し羨ましい気持ちがあるのかなと思う。だからこそ、その子ども心が眩しいのかと。踊ることが翔くんにとって思い出の日々に戻るスイッチ、キーになっている。思い出の日々と踊ることは強く結びついていて、翔くんにとって大切なスイッチなんだと感じる。V6のコンサートの後に行ったカラオケ、すっごく楽しかったんだろうな~。もちろん、楽しかったっていう感想だけで片付くものではなく、感じるものは私の想像を超えてたっくさんあっただろうけれども。”To my homies"の誕生の裏には、その夜が大きく影響しているように思う。

 

コーラスの中で、受け入れるものとして、「痛み」「楽しみ」「悲しみ」「奇跡」が並列となっているのを聴いたとき、翔くんがVS嵐ハワイSPで言っていたことを思い出した。

「なんでグッときてなんで涙してるのかもよく分かってないんだよ。

これは感謝なのか感動なのか、悔しさなのかなんなのかもはやもうわかんないんだけど、ただただ涙が出てくるみたいな。」

 感謝、感動、悔しさ。これが並列されているのを見たときに、ステージの上に立つことを選び続けてくれていることに底知れぬ幸せを感じた。それはあたりまえのことではなくて、多くのものを掴みとってきたと同時に想像を絶する量のなにかを捨ててきているんだと、それでもアイドル居続けてくれたことに対して感謝しかない。感謝と愛おしさが混ざって、涙でしか外に出て行かないことがとんでもなく悔しい。

きっとこうやって言えるようになったのは年齢なんだろうな、と思う。弱い部分、と言ってしまうと乱暴かもしれないが、輝かしくて幸せなポジティブな感情以外も歌えるようになったのはネガティブな部分を許せるようになったからなのかなと思う。向上心を捨てたのではなくて、ネガティブな部分があってもいいと、自分を許せるようになったのかなと思った。

Hip Pop Boogie ChapterⅡの中の、

 辛い夜も暗い夜もタイトルを奪い取る

っていう歌詞にも同じようなこと思う。無印にはなかったテイストだなあと。それだけの時間を歩いてきた翔くん、ひいては嵐のことを推し量ると胸がつぶれそうになる。

 

誰にも止めれない この胸さわぎを

もっと 突き抜けて 空へ もっと もっと

あきらめきれない この胸さわぎを

もう止めることはない

胸騒ぎ=嵐というものに対する漠然とした不安、その胸騒ぎは周囲はもちろん自分すらも止めることはできなかったし、完全に捨て去ることはできないけれど、今は嵐でいることに対してもう迷いはないから止めることはないってことなのかな。胸騒ぎの中には自分の人生の迷いはもちろん、仲間のこともあったんだろうな、と考えるとより一層焦燥感があったのではないかと思うけど、それも突き抜けてしまえば別の感情に昇華するんじゃないか。完全に捨て去ることができなくても、自分たちにはノーカラットだけどかけがえのない日々が確かにあるから大丈夫だと思えるようになったんじゃないかなあ。だってちゃんと思い出の日々に戻れるスイッチを持っているから。

 

いつかのあの歌も 今になって受け入れて

全身全霊で行こうよ ずっと信じてる

きっと今までの楽曲でこんな歌嫌だよ!って思ったこともあっただろうな、って思うけど、今の年齢まできてやっと受け入れることができて、まだまだこれからも仲間を信じて全身全霊で行ってくれるって、こんなに安心することはない。嵐という仲間はもちろん、そうじゃない仲間の事も信じて心を寄せている。そういう存在があってこその嵐という船なんだろうな、と思う。余談だけど、全身全霊って、a dayを思い出してまた胸が熱くなる。

 

嵐は、5人と5人を超えたつながりで支えられている。苦く切なく、けして楽しいだけの気持ちで満ちてはいないけれど、優しくあたたかな絆を持っている。だからこそきっとこれからも前に進んでいけるんだろう。

 

To my homiesという曲を受け取った今、あなたと、あなたの大切な仲間に告ぐ。

2016年現在も、その場所にいてくれてありがとう。

その姿を追いかけることができて、すこぶる楽しくて嬉しいです。

自然と笑顔が溢れるようなこの気持ちを、きっと幸せと呼ぶんだろう。つまり、問いの答えは”Yes.”でしかないということ。

 

嵐、17歳のお誕生日おめでとう。そしてこれからも、Bon voyage!