大好きが愛おしいに変わるまで
33年前の今日、櫻井家の第一子は生まれた。
まだ見ぬ希望と野望をその小さな手に握りしめて。
親戚中の第一子でもあった彼は、きっと大層可愛がられていただろう。
将来は社長か官僚か、なんて言われていたかもしれない。
しかし2015年現在。彼は光り輝くステージの上にいる。
希望と野望は握りしめたまま。
彼の職業はアイドル(自称・旅人)のままだ。
彼がこの世界を選ぶということは、茨の道だったに違いない。
反対や心無い言葉もたくさん浴びただろう。
彼の仲が良かったJr.のうちの一人は、社会人として道を歩き始めることにしたのだから。
それでも、私は今日コンサート会場で、テレビで、雑誌で彼を見ることができる。
彼にはたくさんの道が用意されていた。
しかし、そのどれも選ぶことなく「道なき道を歩いて」いる。
つまり、彼と同じ時代に生きてその活躍を目にすることができるのは奇跡だ。
それは形容しがたいぐらいの幸せなのだと思う。
初めて彼を見たとき、単純に「好きだ。」と思った。
年を経て、翔くんを知っていくうちに「大好きだ。」と思った。
Mr.PERFECRTと名高い彼だが、天然でシャイでちょっと子供っぽいところがあると思う。
だけど優しくて、熱くて、強くて、かわいいのに男前だ。
私は今、そんな翔さんが「愛おしい。」と思う。
見れば見るほど、聞けば聞くほど、知れば知るほど惚れ込んでいった。
もうこれ以上ないぐらいメーターは振り切れているはずなのに、病状は悪化の一途を辿るばかりだ。
私は以前、完成した城に対して「かっこいい。」「美しい。」と言っているだけなのではないかと思っていたことがある。
建築過程のことを何も知らないくせに、と。
それでも私はこの城が好きなのである。それはどうしようもない事実なのだから仕方ない。
私は私のタイミングで翔さんを見つけることができたことにきっと意味がある、と昨年やっと思えるようになった。
それに私は今から好きなだけ翔さんが描く夢の先を見ることができる。
こんなに幸せなことってないだろう。
つい最近、大好きなフォロワーさんとこんな話をした。
「私たちが担降りするときはどういう時なのだろう。」と。
何もこんなめでたい日にそんな話をしなくても、と思うのだが、最近よく考える。
私は何をもって櫻井翔から離れるのだろう。
もう顔も見たくない、と嫌いになるのだろうか。
翔さんの活躍は十分見た、と満足するのだろうか。
突然他に応援したい子ができた、と降りてしまうのだろうか。
今はこのどれも想像がつかない。
脳内お花畑のようなことを言っている、と思われるかもしれないが、
私はもう櫻井翔以上に好きになる人は出てこないんじゃないか、と思う。
それぐらいに私の中は櫻井翔に占められている。
だからどうか、翔さんに悲しいことがないといい。
苦しいことがないといい。
薄汚いことが降りかからないでほしい。
何よりも虹色の幸福が訪れるようであってほしい。
……なんて一回りも年上の男性に思うことじゃないかもしれない。
それでも私は翔さんに眉尻を八の字に下げてきらきらと笑っていてほしいのだ。
未開の荒野に道を切り開くその背中を追いかけていたい。
「嵐のファンでよかった、と思ってもらえるように頑張りたい。」と翔さんは言った。
そんなの、思わなかった日なんてないよ、翔さん。
現状に満足することない気高さと、周囲に感謝することを忘れない謙虚さを持ち合わせた翔さんは痺れるぐらいにかっこいい。
だって彼は私の世界の1番なのだから。
翔さん、お誕生日おめでとう。両手で抱えきれないぐらいの愛を、あなたへ。
生まれてきてくれて、アイドルであることを選び続けてくれて、ありがとう。