船旅

へっぽこ櫻井くんヲタの野望

あなたは私の青春そのもの

 

2015年なんて来なければいいのに。

 

なんとも我儘な願いである。

私にとっての2015年はまさに地獄に等しく、一寸先は闇だと思っていた。

どのぐらい嫌だったのかというと、2014年末に紅白歌合戦で「THE DIGITALIAN」ツアーの会場限定グッズを胸元につけてGUTS!を歌った嵐を見て涙を流すぐらいだ。

 

時よ止まれと強く願った。

そんな私の願いをよそにあっけなく年は明け、翔さんは33歳になり、私のモラトリアムは終焉に向かってカウントダウンを始めた。

 

結果として、私の2015年は無事に終わった。

私の予想通り確かに地獄だったし、走り抜けてきた道を振り返ってみると後悔もある。

それでも私は生き延び、また一つ年を重ねる櫻井翔さんに愛を叫ぼうとしている。

 

 

学生生活を終えて仕事一本になるとき、翔さんは自らの感覚を「補助輪が外される感じ」と表現していた。

今、人生の岐路に立ち、その言葉を噛みしめている。

 

翔さんはどれだけ不安だったことだろう。

周りの友人たちとは違う道を歩いていくと決めたその覚悟は如何ほどか。

私のような若輩者には計り知れない。

それでも「俺はブラウン管の中もうしばらく」と口ずさみ、就職活動をする友人たちには「嵐に就職が決まってる」と笑って見せていたのだろう。

 

ブラウン管は薄型テレビになり、もうしばらくと言い続けて嵐は2015年11月3日に16歳となった。

一昨日は嵐にしやがれで鍋を頬張る翔さんを見て、今日は23:00にNEWSZEROで翔さんを見ることができる。

ありがとう、翔さん。補助輪なしでも、運転を続けてくれてありがとう。

 

道は舗装されていないし、運転すれば外野は好き勝手に喚くし、そのハンドルから手を離してしまいたいと思ったこともあるだろう。

翔さんは嵐から愛され、嵐を愛している。これは紛れもない真実だ。

その結果として翔さんは運転を続けているのではないかと思う。

だから、ありがとう、嵐。翔さんと一緒にハンドルを握り続けてくれてありがとう。

 

私は櫻井翔という人間に何回惚れ直せばいいのだろうか。

33歳の櫻井翔を前にして思ったことである。

愛を注げるだけ注いでいるつもりなのに、いつだって、何回でも私は翔さんに惚れ直す。 

 

”君たちとなら歩いてく”

”こんな大の大人が 大きな夢描いたり 願いたい未来また描いたり”

”こうなりゃもうそう後ろ振り向かず 本業の方置いて次向かう”

 

決意、誓い、新たなる所信表明演説

どれもきっと当てはまるが、Hip Pop Boogie ChapterⅡもまたラブレターなのだろう。

これが一番しっくりくる気がした。

こんな熱烈なラブレターを貰って、「描いた未来」を見たくないなんて言えるはずがない。

 

ARASHI LIVE TOUR 2015"Japonism"。

翔さんはまた一つ新しい宝物を見せてくれた。

櫻井翔ドラムラインはびっくりするほどに新鮮で、痺れるぐらいにかっこよかった。

それは紛れもなくきらきらと輝く努力の結晶だった。

 

翔さんが好きだ。大好きだ。

翔さんを構成するすべてを尊敬している。

常に前進し続けるその背中が眩しい。

 

そんな翔さんを応援するにあたって、私は胸を張れるだろうか。

選んだ道は正解だったのだろうか。

散々考えてはみたものの、結局のところそんなのはやってみなければわからない。

「真実はいつだって一つだけじゃ終わらない」のだから。

 

しどろもどろになりながら模索する私を照らしたのはやっぱり翔さんだった。

2015年も、そのずっと前から、翔さんはいつも私の光だ。

地獄も恐ろしくなかったのは、翔さんという灯台のおかげだった。

 

私ももう少しで補助輪が外れる。

翔さんと同じ立場になる。

”今をどう生きる?”

まずは翔さんに恥ずかしくないように、精一杯選んだ道を生きてみようと思います。

 

翔さん、お誕生日おめでとう。

同じ時代に生まれたことが、叫びだしたいぐらいに嬉しいです。

翔さんを好きになって、本当によかった。