船旅

へっぽこ櫻井くんヲタの野望

”必ず見てくれているあなた”でいるということ

 

ここ数年、コンサートやテレビ、雑誌で翔くんを見たり、翔くんの言葉を読んだりするたびに思うことがある。

私は、もう死ぬまでこの人のこと好きなんじゃないだろうか。

重い。重いし、死ぬまで好きが変わらないなんて考えるには年齢を重ねすぎているとも思う。

それでも、私はずっと櫻井翔という人間が好きなんじゃないかと思う。

好きの形や熱量が変わる日は来るかもしれないが、好きじゃなくなる日は訪れない気がしている。

それほどまでに翔くんはスーパーアイドルで、頗るいい男なのである。

 

私は翔くんのことをシャイだと思っている節がある。

わかりやすい愛情の言葉をあまり多く話す人ではないと思う。

でも、ここ数年、翔くんは節目節目にそれを口にするようになった。それは嵐への愛だった。

印象的なのは、Documentary Film~アユハピ~でのTo my homiesの解説だ。

「よくいろんなグループのインタビューとかでメンバーってなんですか?って聞かれるけど家族でもないし、友達でもないし、当然恋人でもないしメンバーってものでしかないよ、なんていろんなグループの人言うけど、俺らは、家族でもあり、友達でもあり、それでメンバーでもありその全てなんじゃないのっていうのが前提で書いた曲なのね。」

本当に嵐が好きな人だ。そんなことは知っていたけれど(だってAre you Happy?で好きなものが詰まったMA-1の中で、背中の嵐の文字は一際輝いていた)そうやって改めて言葉にされると、嬉しくなってしまう。だって何よりも、嵐の中で笑顔を溢れさせている翔くんが大好きだから。

きっと年齢を重ねて、愛情を素直に表現することに対して躊躇いがなくなったんじゃないかなと思う。もっと若かったら、こんな言葉はまだ聞けなかったような気がする。

 

 

 

だから、油断していた。翔くんの素直な愛を受けることができるのは"嵐"の特権だと思っていたから。

それがまさか、2018年、ファンの方に向けられるとは思っていなかった。

この書きっぷりでは語弊があるかもしれない。翔くんに蔑ろにされているとは言ってないし、思ったこともない。

だけど、あんな風にオトノハで言われてしまっては、もうどうしたらいいかわからない。幸せが体中を満たして溢れ返った末、溺れてしまう。

 

これは、私の自論に過ぎないのだけど、アイドルのファンというのは、少なからず一方通行なところがあると思う。そういうエンターテイメントだと。それで満足しているし、私は嵐のやりたいこと、翔くんのやりたいことがすべてだと思っているから、ファンの好き嫌いに寄りすぎることはないと思う。だって好みを汲んでくれるから好きになったんじゃない。その姿を見ていたいと思ったから好きになった。私の好みかどうかなんて二の次で、嵐は嵐でいてくれるだけで最高なのだ。オタクは欲深い生き物なので、見たいものが年々増えていくのもまた事実ではあるが、またそれは別の話。

 

だけど、私の自論なんて櫻井翔の前では塵に等しい。

届いていると言葉にしてもらえることがどれだけ嬉しいか、私は知ってしまった。

こんなに報われてしまっていいんだろうか。愛されてしまっていいんだろうか。

”We've all traveled together all this way.”なんて、そんな言葉、もらってしまっていいんだろうか。

身に余る幸せだ。

 

翔くんは本当によくわかっている。オタクが翔くんの言葉を、翔くんの口から直接聞きたいということを知っている。何より、自分の言葉に誇りを持ってるひとだから。その言葉は、最初から最後まで余すところなく櫻井翔の信念で満ちている。

そんな人だから、こんなに好きになった。応援したいと思った。

 

翔くん、37歳の誕生日おめでとう。

どれだけ好きになっても限界が見えないくらい、いつも好きを更新させてくれてありがとう。

たくさんの選択肢から”嵐”を選び、向き合い、大事にしてくれてありがとう。

"嵐・櫻井翔のファンでいること"はこの上なく楽しくて幸せです。

 

翔くんの宝物が、華々しく20周年イヤーを駆け抜けていきますように。